こんにちは。
Victory学院講師の山田修です。
「古典はなぜ勉強しなければならないんですか?」
先日生徒から質問を受けました。
私は社会科、それも西洋史が専門ですので、これまでも
歴史については同じ質問をたくさん受けてきました。
そのことは別の機会にたっぷりと話したいですが、
今日は古典について考えてみたいと思います。
私が古典の勉強として思い出すのは、中学生の時に
『枕草子』や『平家物語』の一節を暗唱したことです。
「春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山際 少し明かりて」
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
今でも諳んじることができます。
ですが、暗唱することが勉強ではありません。
また、助動詞や上二段活用、係結びなど英語並みに
文法が難しかったことが思い出されます。
文法は確かに勉強することですが、
それが古典を勉強する目的ではありません。
では何が目的でしょうか。
文部科学省は、古典を勉強する目標を下記のとおりと
しています。
「古典としての古文と漢文を読解し鑑賞する能力を
養うとともに、ものの見方、感じ方、考え方を広くし、
古典に親しむことによって人生を豊かにする態度を
育てる。」
古典に親しみ人生を豊かにするために勉強するのだ
といっています。
けれどもテストに出るから、入試に必要だから
勉強することが、多くの子どもたちの理由では
ないでしょうか。
私も「ここがテストに出るぞ」と言いながら
指導しています。
では、入試のために勉強するのでしょうか。
どの教科も入試のために勉強するのでは
ないはずです。
古典を学習する理由として私が考えるのは、
学習して得たことを教養として活かすことです。
教養は社会生活をしていくうえで大切なことです。
人生のプラスになるものです。
書店に行けばビジネス本や自己啓発本、歴史本と
さまざまな本が並んでいます。
それらは古典からそのエッセンスや考え方をもとに
書いたものが大変多いです。
古典を学ぶことは、物事の本質を理解するのに
不可欠なものだと言えるでしょう。
もっとも、子どもたちが自分からこうした意義を
意識することはないでしょう。
私たち大人ができることは、子どもたちが古典に
触れる機会を与えることではないでしょうか。
10代のうちに多くの古典を読むことで
その本質を感じ取ってほしいと願っています。
私も塾講師としてテキストや問題を通じて
古典をに触れる機会を与えていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。