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塾頭の生い立ち~エジプト時代(後半)

2020/07/01
Victoryブログ

こんにちは。

塾頭山崎です。

エジプト時代です。

なかなか英語が上達しなかったので、

2年目の1981年の夏に

両親は私をイギリスにホームステイさせました。

一人でカイロからロンドン行きの飛行機に乗り、

ロンドンから北に電車で3時間くらいかかったと思います。

駅から家までも車でものすごくかかりました。

ちょうどウィンブルドン・テニス選手権(全英)が行われている時期でした。

当時、スウェーデンのビヨン・ボルグ選手が全英5連覇中でした。

そこに立ちはだかったのが、アメリカの悪童ジョン・マッケンローでした。

前年、決勝で負けていたマッケンローが雪辱し、ボルグ選手の6連覇はなりませんでした。

その試合を生放送でホストファミリーと観ていました。

一生懸命、自分の言いたいことを頭の中で文にするのですが、

「間違えたらどうしよう」

「笑われたらどうしよう」

ということが先立ち、なかなか口から英語が出てきませんでした。

ただ、だいぶん、相手の言っていることは理解できるようになっていました。

イギリスのホストファミリーの食事はとても質素なものでした。

2週間だったと思います。ホームシックにもなりました。

それでもなんとか過ごし、エジプトに帰ってきたのです。

この経験はある種の自信をつけてくれました。

「何とかなるもんだ」

同じ年の10月、何家族かで一緒にイタリアに行きました。

出発の日、カイロ空港で長い間、待たされました。

全然飛行機に乗れず、4時間以上待たされて、

イタリアのローマ空港に着いた時に

「サダト大統領、暗殺される」と知りました。

ちょうど私たちが空港にいた時に軍事パレードを見ていた

サダト大統領が反サダト派に射殺されたのです。

そのゴタゴタがあったため、空港が閉鎖されたようです。

歴史的事件に遭遇したのです。

この時代に現東京都知事の小池百合子も

カイロ大学にいました。

私は会ったことも見たこともありませんが、

後輩たちの何人かは見たことがあるそうです。

学校ですが、ESLクラスに2年間いて、

高2の時に普通のクラスに移りました。

国語(英語)はそのような状態でしたが、

生物、化学、物理、代数、幾何、西洋史、

アメリカ政治は、一般の生徒と同じクラスでした。

以前もお話しましたが、「日本人」であることを

強烈に意識するようになり、「バカにされないように」

必死で勉強しました。

(実際には、バカにされることなど全くありませんでした)

そのような状況だったので、英会話はできませんでしたが、

学校の成績は良くなり、成績優秀者として表彰されることも

度々ありました。

結局、ピラミッドの前で行われた卒業式では、

4年間の成績の平均が全生徒85人中10位となり、

ギリギリ表彰されました。

1984年6月、無事卒業しました。

6月卒業なので、自動的に「浪人」です。

(同じ学年の人たちは4月から大学生)

父の任期が終わっていなかったので、

私一人帰国し、京都の祖父母の家に泊まりました。

そこで9月から始まる「帰国子女入試」に向けて

受験勉強していました。

当時は帰国子女入試の走りで、

受け入れをしてくれる大学は少なかったです。

上智大学(比較文化学科)

国際基督教大学(ICU)

の2校は帰国子女の受け入れを早くから

行っていましたが、

京都大学、慶應大学、早稲田大学は確か、

私が受ける年の1年前に初めて受け入れを始めたように

記憶しています。

一橋大学、筑波大学、学習院大学、南山大学などは

この年から受け入れをし始めたように思います。

私は、コンピューターに非常に興味があったので、

筑波大学を受けたいと思いました。

早慶は受けるつもりはありませんでしたが、

父から「早慶は受けてくれ」と言われ、

「受験料がもったいないよ」と私。

上智大、ICU、そして慶應大学は

1次の書類選考で落とされました。

夏休みになり、家族が帰国したので、

横浜に戻り、予備校に通いました。

大体の大学で「小論文」が課されていましたので、

単科コースで小論文を勉強し、あとは「赤本」を

ひたすら解きました。

当時の大学受験は「4当5落」という言葉が流行っていました。

どういう意味か分かりますか?

「4時間睡眠の人は受かって、

5時間睡眠の人は落ちる」

と言われていました。

「浪人」するのは当たり前の時代でした。

今と違い、大学進学率は30%くらいでした。

大学に入ってからの話ですが、

中学時代の軟式テニス部の同窓会があり、

参加したら、20人くらい来て、大学生は

私ともう一人だけでした。あとの人たちは

全員社会人になっていて、中には結婚して

子どもがいる人もいました。

最初に筑波大学の試験があり、13人が受験。

結果、全員「不合格」でした。

驚きました。

そのあと、早稲田大学の試験でした。

国語、英語、小論文、面接とありました。

国語は古文が出てきて、さっぱりできず。

小論文はそれなりに書けたように思いました。

英語はまあまあという手応えでした。

帰国子女入試では、試験会場でみんな仲良くなり、

「全員で合格しよう」的な雰囲気でした。

早稲田大学の面接の時も、

みんなで励まし合っていました。

大体、みんな5分くらいで面接会場から出てきていました。

「どんな問題だった?」とかは聞けず、

ただ、「頑張れ!」と言った感じでした。

私の番になり、

ドアのノックして中に入りました。

「失礼します」

今日は長くなったので、この辺で。

また、会いましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

感謝。