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塾頭の生い立ち~留学時代

2020/07/04
Victoryブログ

こんにちは。

塾頭山崎です。

いよいよアメリカでの生活です。1986年9月です。

私が通うことになったカリフォルニア州立大学

サクラメント校は、文字通り、

カリフォルニア州の州都サクラメントに

あります。

サクラメントはサンフランシスコから

車で2時間くらいのところにあります。

大学のキャンパス内にある学生寮に

入りました。ここは「男女共同の寮」でした。

「2人部屋」で、私の相方はハワイ出身の

アメフト選手でした。

部屋には、勉強机とベッドとクロゼットしかなく、

間仕切りもありません。

私はキャンパスに到着するや否や

テニスコードを探しました。

6面ハードコートがありましたが、

誰もプレイしていませんでした。

「残念」

と思って帰ろうとしたところ、

遠くの方で壁打ちをしている人を

見つけました。

私はその人のところに駆け寄って

声を掛けました。

その人は「Bill」といい、28歳でした。

そう、28歳の「大学生」です。

アメリカでは、高校を卒業して

一度「社会に出て」働いてから

「大学」に戻って勉強することは

全然珍しくありません。

なので、大学の授業では、

色々な人を見かけます。

Billもそのような人の一人でした。

彼の壁打ちを見ていたら

「マッケンローそっくり」と思いました。

彼に「一緒にプレイしないか」と声をかけ

早速、テニスをしました。

彼は、めちゃくちゃうまかったのです。

一瞬にして彼のプレイの虜になり

「テニスを教えてほしい」と頼みました。

Billは快く受け入れてくれました。

そこから1年間、私の留学生生活が始まりました。

あなたもご存じの通り、アメリカの大学はハードです。

めちゃくちゃ勉強させられます。

特に、私は政治学科だったので、

政治関係の科目をたくさん受講しました。

帰国した時に、早稲田大学の単位振替をするためです。

うまく単位が振り返られれば、

帰国後の3年生と4年生の時に

「楽」できるかと思いました。

しかし、現実は甘くありませんでした。

毎日膨大なリーディングの宿題がでました。

各科目数十ページでしたので、

トータル百ページ近くなりました。

これは「まずい」と想い、

日本にいる家族に連絡して、

「日本語訳」のある本は

送ってもらいました。

そのような「ズル」をして

大学の勉強は何とかこなすことができました。

大学での私の居場所は

「授業」「図書館」「テニスコート」

のどれかでした。

寮の部屋は文字通り

「寝るだけ」

でした。

テニスはBillに教えてもらったので、

会った当初は、試合をしても

1ゲームも取れないほどのレベル差でしたが、

帰国する頃には1セット取れるまで

上達していました。

(帰国後の私のテニスのレベルアップに

サークルの人たちは驚いていました)

寮では、金曜日の夜は

パーティがあちらこちらで

行われていました。

そこでドミノピザを初めて食べました。

「美味しい」

「これを日本でやったら受けるだろうなぁ」

と思ったものでしたが、

その1年前(1985年)に既に日本に入ってきていました( ´∀` )

アメリカにはファストフード店が

たくさんありますが、

日本で成功しているのは

ご存知、マクドナルドです。

最近、バーガーキングが日本再上陸しましたが、

実はマクドナルドはアメリカではどちらかというと

「低所得者層」向けと言われています。

なので、普通の大学生はハンバーガーと言えば、

「バーガーキング」でした。

カリフォルニア州はメキシコと国境を面しています。

メキシコ料理のファストフード「Taco Bell」も

とても美味しかったです。(日本未上陸)

カリフォルニア州立大学サクラメント校で

日本語を教えている日本人の先生がいて、

その先生から「手伝ってほしい」

と言われましたので、快諾しました。

校内にある小さな部屋である時間帯

待っていて、そこに日本語を習いたい学生が

来るのです。

私は、かなり「甘く」考えていました。

実際に学生から「なぜ日本語でこういうの?」

と聞かれると、詰まってしまうことが多く、

自分の知識のなさを痛感させられました。

人種差別が最近、アメリカで大きな問題になっていますが、

私も一度非常に危ない目に遭いました。

日本に帰国する前の夏休み、

ワシントンD.C.を旅行していた時です。

当時、日米貿易摩擦が起こっていました。

バス停でバスを待っていた時に

ラジカセを肩に抱えて、大きな音楽をかけながら

大股で肩を揺らしながら音楽のリズムに乗って

歩いている黒人がいました。

私を見て、近づいてきました。

黒人:「Hey, man. Are you Japanese?」(おい、お前は日本人か?)

私:「No. I’m Korean.」(いいえ、私は韓国人です)

黒人:「You’re lucky, man. I hate Japanese.」(ラッキーだな。俺は日本人が大嫌いなんだよ)

と言って去っていきました。

ここで、もし「Yes」と言っていたらどうなっていたか、

と思うと鳥肌が立ちます。

今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました。

感謝