昨日は21時半から以前お話した高3生のコマがありました。
「今日は、何がしたい?」
と聞くと、
「今日は、関大の過去問をやりたいです」
と高3生。
時間は90分。
彼が別の予備校で用意した2019年2月に実施された問題。
「用意、ドン」
と彼がスタートの合図。
私は、問題用紙をめくりました。
「長文だ」
と思い、ペラペラ問題用紙をめくりました。
そうしたら、
長文が3問あるだけでした。
しかし、
どの長文も問題を見ると、
「全部、読まなければならない!」
ものばかりでした。
私は一日の疲れがある中、
懸命に解き、
70分でとりあえず、
終わらせました。
そして、
ネットで解答を探しましたが、
前回同様、
見つかりませんでした。
そして、
残り10分になって、
見直しを始めました。
いくつか答えを2つまで絞って
迷った問題がありましたので、
それらを考えました。
当の高3生は、
90分ギリギリで解き終えました。
そして、
両方の解答を突き合わせをしました。
前回と違い、
かなり答えが違っていました。
「塾頭、何でこの答えを選んだんですか」
と聞かれたので、
その理由を長文の内容を読み返しながら
説明していきました。
本人も
「そういう意味だったんだ」
とか
「その単語の意味が分からなかったから自信がなかった」
とか
色々と私の解答と違う理由を話しました。
結局、
半分近く私の解答と本人の解答が違ったので、
「関大はやめた。潔くあきらめます!」
と言って、
たった今解いた問題をゴミ箱に捨てました。
「いやいや、まだ時間があるじゃん」
と私は言いましたが、
「いや、この長文3題は正直、きついです」
と本人。
大学によって、出題の仕方が様々。
自分に合う、合わない、が確かにあるな、
と感じました。
「立命館大の方が自分に合っている」
と高3生。
「でも、私が正しいかどうか分からないよ」
と言いましたが、
本人は、「いや、関大はあきらめます」
と。
そういう「潔さ」や「諦め」というのも
大学受験では必要なのかな、
と思いながら、時計の針が0時を回ったところで
彼に「帰ろう」
と言って、家路につきました。