こんにちは。
Victory学院講師の山田修です。
吉野ヶ里遺跡で今月5日、お墓の調査が始まりました。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模な環濠集落の
跡が残る遺跡です。
この遺跡で歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」の西側で、
貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった
「謎のエリア」と呼ばれる場所で、
昨年から大規模な発掘調査が行われています。
この調査で今年4月、板状の石を組み合わせた「石棺墓」
が見つかりました。
この石の表面には“×”のように見える線が交差した印が
無数に刻まれています。
埋葬した際になんらかの意図を持ってつけられたと
みられています。
吉野ヶ里遺跡では、これまで弥生時代中期の王の墓が
見つかっていますが、
この石棺墓が弥生時代後期の有力者の墓だとすると、
邪馬台国が存在したと重なります。
弥生時代後期に存在したとされる邪馬台国の所在地は、
「近畿説」と「九州説」の2つあります。
邪馬台国について記述のある『魏志倭人伝』のとおりに
進むと、九州を通り抜けて太平洋にたどり着きます。
そのため、「距離」があう近畿と、
「方位」に則した九州が候補地として挙げられています。
近年では遺跡の年代や出土した鏡や剣の副葬品などから
奈良県桜井市にある纒向遺跡の箸墓古墳が卑弥呼の墓
として有力視されています。
吉野ヶ里遺跡は九州説の中で可能性のある場所の一つと
目されてきましたが、
弥生時代後期の王の墓がこれまで見つかっていません。
5日から始まった調査では、石棺墓の蓋を開けたところ
墓の内側から赤い顔料を使用した痕跡が見つかりました。
赤い顔料は、弥生時代では有力者の墓で
使われていることが多いとされています。
棺の中は土砂で埋まっており、
今後はその土を取り除くなどして詳しい分析を進める
とのことです。
女王・卑弥呼が生きた時代の手がかりは見つかるのか?
邪馬台国の所在地を巡る長年の論争にピリオドを打つ
発見はあるのか?
関心を持って今後のニュースを待ちたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。