塾頭山崎です。
今日も弊教室のホームページにお立ち寄り頂き、
誠にありがとうございます。
前回は「何のために?」というテーマで
書かせて頂きました。
例えば、「勉強する」という行為は
「手段」
であって、
「目的」
ではない、ということを書かせて頂きました。
しかし、実際のところ、
保護者様から子どもに対して
「ゲームばかりしていないで、勉強しなさい!」
と叱ってしまうと
「勉強すること」自体が
「目的化」してしまうことがあります。
これではなかなか成績は上がりません。
なぜなら、言われた子どもに
「納得感」
がないからです。
「何のために勉強するのか」
を納得してやれば身が入るでしょう。
「何のために勉強するのか」という問いに
対しての究極の答えというのは
「幸福になるため」
であると考えますが、実際のところ、
「幸福」の定義は人によって違います。
「お金持ち」になったら幸福かというと
「どれくらいお金が持てたら幸福なの?」
という疑問が湧いてきます。
「1千万円?」
「1億円?」
「10億円?」
よく知られている話に
「宝くじに当たった人の人生の末路は悲惨」
というものがあります。
日本では宝くじに当たっても「億」ですが、
米国の宝くじは「何十億円」「何百億円」
単位のものがあります。
この大金を手にしても結局「自己破産」
してしまう人がたくさんいるのです。
従って、「お金持ち」=「幸福」
ではないかもしれないですよね。
また、
「幸福」の程度を図る時に
「あの人よりもいい生活がしたい」
ということがあります。
「他人」が「尺度」になっています。
「あの人」について「100%」知って
比べているのでしょうか。
「物質的に」あなたよりも持っているかもしれませんが
「精神的に」あなたよりも貧しいかもしれません。
こうやって考えていくと
「幸福」とは
「自分がどう感じるか」
に関わってくることが分かります。
あなたは日本で生まれて育ち、
今の生活レベルが「普通」と感じていますが、
日本の生活レベルは世界水準で行くと
「裕福なレベル」
になります。
ということは、
「幸せになるために」どうすればいいのでしょうか。
最近、読んだ本で
「今の自分が生活できていることに感謝する」
と書かれていました。
人は、とにかく「無い」ことに目が行きがちです。
「あの人は〇〇を持っているけど私にはない」
といった感じです。
自分が持っているものは「当たり前」に感じているので
自分が他の人から「羨まれている」ということが
分かりません。
「私には住める家がある」
「私には車がある」
「私には子どもがいる」
「私にはパートナーがいる」
「私には仕事がある」
「私にはスマホがある」
「私にはタブレットがある」
「私には大画面テレビがある」
「私には学校に行ける環境がある」
「私には勉強できる環境がある」
などなど
自分のレべルが「当たり前」ですから仕方がないこと
ですが、今一度、この「当たり前」に感謝をすること
ができるようになると違う「幸せの次のレベル」に
行けるようです。
今日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。