こんにちは。
Victory学院講師の山田修です。
1990(平成2)年の今日10月3日は、
東西に分かれていたドイツが41年ぶりに統一され、
「ドイツ連邦共和国」が誕生した日です。
第2次世界大戦後の1949年、ドイツは
英米仏が統治する西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と、
旧ソ連の統治下にある東ドイツ(ドイツ民主共和国)の
二つの国に分断されました。
東ドイツ領内の旧首都ベルリンは、
英米仏が管理する西ベルリンと
ソ連が管理する東ベルリンとに分割統治されました。
ですが、東ドイツからは専門家や知識層、熟練労働者の
西側への脱出が相次ぎました。
そのため、東ドイツは1961年にベルリンの壁を
建設し、東西の行き来を遮断しました。
しかし、ソ連の弱体化により
1989年11月9日に民衆によってベルリンの壁が
打ち壊されました。
ベルリンの壁は、
ソ連を中心とした東側の共産主義体制と、
西側の資本主義体制とが対立した「冷戦」の象徴でした。
そのため、ベルリンの壁が崩壊したことをきっかけとして
東西ドイツ市民の一体感を大きく高めました。
その後も東西ドイツは続いていましたが、
翌年1990年3月に実施された東ドイツの選挙で
東西ドイツ統合を目指す政党が勝利し、
同年8月に東西ドイツの統一条約が調印されました。
そして1990年10月3日に
法的にも、国際的にも東西統一が認められました。
西ドイツに東ドイツが編入される形で統一されて33年が
経過しましたが、大きな課題が残されています。
統一のときから旧東ドイツと旧西ドイツの経済格差は
課題とされていました。
この格差は現在でも埋まっておらず、
旧東ドイツの経済規模は旧西ドイツの約6分の1です。
そのため旧東ドイツの市民の不満や閉塞感は解消されず、
そのことがドイツ政治を不安定化させています。
日本にとってドイツはヨーロッパ最大の貿易相手国です。
日本とドイツの関係はますます重要になっています。
政治・経済の面だけでなく、文化・学術の面でも
市民レベルでの活発な活動が行われています。
歴史や背景を知ることで、
今後も友好関係を深めていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。