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視点を変える大切さ(いじめがなくならない理由?)

2022/01/19
Victoryブログ
こんにちは。
塾頭山崎です。

今日も個別指導Victory学院のHPにお立ち寄り頂き
誠にありがとうございます。


先日、通信制高校に教えに行った時のことです。
担当の先生の一人が高校生に言いました。

「高校卒業するまでに学ぶ大切なことの一つに
『視点を変える』ことがあると思う」と。

ある事柄について、1つの視点ではなく
別の視点からも見て考える、ということです。


例えば、AがBの財布を盗んだ。
これは「A」の視点です。


「B」の視点からですと
Bは、自分の財布をAに盗まれた。


「財布」の視点ですと
Bの財布はAに盗まれた。

というように文章が変化します。

主語を何にするかによって「見方」が
変わるのです。

このように色々な見方ができるようになると
「相手の立場」に立って物事が見られるように
なり、「相手はどう感じているだろうか」と
考えられるようになり、「いじめ」も減って
くるのではないか、

というような話をしてくれました。


この話を聞いて、私も聞いた話を思い出しました。


中3生同士が塾の帰りに「ふざけて」
相手の靴を隠したとの事。

隠された生徒は自転車に乗った靴を隠した生徒を追いかけて返してもらいました。

翌週、今度は前回隠された生徒が隠した生徒の靴を隠して、同じように自転車で少し逃げて、返したそうです。

最初に隠した生徒は「お互い楽しんでやっていた」と言っていたようです。

しかし、隠された生徒は「正直、楽しくはなかった」と言っていたようです。


小学校でよく聞く「いじめ」に発展しかねないレベルの話に聞こえました。


最初に隠した生徒は「お互い」楽しく悪ふざけをしていたつもりでしたが、相手はそうは思っていなかったようです。


「自分がされたらどう思うのか?」
「自分がされたらどう感じるのか?」
という観点がすっぽりと抜けていて、

お互い楽しんでいる「だろう」という認識でいることが「感情や感覚のズレ」を起こしているのです。


世の中のいじめも「いじめてやろう」と思ってやっている場合と「悪ふざけ」のつもりでやっている場合とがあると思います。


前者の場合は「許されない」ですが、
後者の場合はどうでしょうか。

実は、今の「いじめ」の定義は
「相手がいじめられている(不快だ)と感じた時点で「いじめ」に認定される」です。


以前、懇意にさせて頂いている小学校の校長先生と話をさせて頂いた時に、その校長がいる小学校のいじめの数が桁外れに多かったとの事です。


それは如上の「いじめ」の定義に基づいて徹底的に子供たちや先生たちと話し合い、「いじめ」の認定をし、当事者同士で話し合いをさせた結果だとのことでした。


結局、その小学校はその後「いじめ」の件数が激減したとの事です。



私たち大人はこういう話を聞いて
「自分の子供がこういう悪ふざけをしたらどうする?」を真剣に考える必要があるのではないかと思います。


相手がどんな子であろうと
「そういうことはやってはいけない」
と叱れるだろうか、ということです。


私たち大人が事の「善悪」を
きっちりと子供に教えられるのか...



私自身小学生の時にいじめられました。

ある日突然、輪ゴム鉄砲で2人組から「標的」にされたのです。


「やめてくれ」と言いましたが、止まらず。

彼らは「悪ふざけ」だったようです。

私は、帰りのHRで名前を伏せて
「そういうことはしないでほしい」と発言したら
担任の先生が激怒して、「誰がやったのか」
と執拗に私を問い詰めました。
私は、「その児童が聞いているから言わない」
と固辞しましたが、最終的に言わされました。

あとで、その2人から「言いつけやがって」
と再び輪ゴム鉄砲で攻撃を受けましたが、
「またHRで言うよ」というと止まりました。




「相手の立場に立って考える」
「こういうことをしたら相手はどう思うだろう」


等と考えさせることの大切さを改めて
感じました。

今日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。