こんにちは。
Victory学院講師の山田修です。
1 1 92
「いい国作ろう鎌倉幕府」
皆さんはこの語呂合わせで「鎌倉幕府成立=1192年」
と覚えたのではないでしょうか?
ですが令和の教科書では
「鎌倉幕府が成立した時期については、頼朝が朝廷から
東日本の支配を認められた1183年や、守護・地頭
をおいた1185年、頼朝が征夷大将軍に任じられた
1192年など、諸説あります。」
と記述されています。
(『中学社会歴史 未来を開く』、教育出版)
歴史の研究は日々進んでいて、私たちが教科書で習った
ことも上の例のように変わっています。
今日はそのような例をいくつかあげてみます。
以前、一万円札に描かれていた「聖徳太子」の肖像画も、
もっと後の時代の人物ではないかと言われており、
現在の教科書では「伝聖徳太子」となっています。
名称も現在の中学歴史教科書では「聖徳太子(厩戸皇子)」
となっています。
「聖徳太子」は死後の呼び名であり、生前呼ばれていた
「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と呼ぶべきと
されています。
2019年に世界遺産に登録され大阪府堺市にある
日本最大の前方後円墳は、以前の教科書は「仁徳天皇陵」
と習ったと思います。
しかし、現在は学術的な知見から所在地の地名をとって
「大仙陵古墳」と表記されています。
もっとも大きく変わったのが江戸時代です。
例えば江戸時代には「士農工商」という身分制度があった
と習いました。
しかし、現在の教科書には載っていません。
近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係
がなかったことが明らかになったからです。
「鎖国」という言葉も慎重に扱われるようになりました。
実際に国を閉ざしたわけではなく、長崎の出島など
窓口を限定して外国と交流する貿易統制を行なっていた
からです。
幕府は国を閉ざしている意識はなかったとされています。
このように歴史教科書は研究が進むことで変わります。
ここで重要なことは丸暗記ではなく考えることです。
「鎖国」を例に挙げると、
なぜ江戸幕府が海外との交流を制限したのか?
なぜその政策が260年もの間続いたのか?
それが日本にどのような影響を与えたのか?
まで考えることが重要です。
そのように考えることが「主体的・対話的で深い学び」
(学習指導要領)につながります。
今後ますます海外との交流が活発になります。
そのような時代に子どもたちが自分なりの歴史認識を
持つことは未来を考えるうえで不可欠です。
歴史は決して暗記だけの教科ではありません。
子どもには上記のような視点を持って
学習を進めていって欲しいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。