こんにちは。
Victory学院講師の山田修です。
中国の書『論語』に次のような一節があります。
「子曰く、学びて思はざれば則ち罔(くら)し。
思ひて学ばざれば則ち殆(あや)ふし。」
これを現代文に訳すると、以下のとおりです。
「先生(孔子)はおっしゃった。
学ぶだけで考えなければ本当の理解には到達しない。
考えるだけで学ばなければ独断に陥る危険がある。」
この言葉を理科で例えると、
植物について、授業や本でいくら勉強したとしても、
実際に外に出て実物を観察し、自分なりに考察しないと
植物のことを本当には理解できません。
逆に、観察したことについて授業や本で勉強しないと、
正しい知識を得ることはできません。
「学ぶ」=人から教わる。誰かに教えてもらう。
「思う」=自分で考える。自分の意見を確立させる。
勉強の本来の目的は、
物事の本質を見抜く力を身につけることです。
人から学ぶばかりで、自分で考えようとしないと、
自力で答えを導き出す力が養われません。
逆に、自分で考えるばかりで人から教わろうとせず、
自分と違う考えや意見を取り入れようとしない人は
思考の幅が狭くなり、
自分の考えが正しいのだと独善的になってしまいます。
では、「学ぶ」と「思う」のどちらが大切でしょうか?
「関ヶ原の戦い」について、
「1600年の出来事」
「東軍の総大将は徳川家康、西軍の総大将は毛利輝元」
「東軍が勝つ」
などは「学ぶ」ことです。
これを覚えればテストでは点数を取ることができます。
その点では「学ぶ」>「思う」です。
ですが、学んだうえで、
「なぜ関ヶ原の戦いが起こったのか?」
「なぜ徳川家康の東軍が勝利したのだろう?」
「この戦いはその後の歴史にどのような影響を与えたの
だろうか?」
といったことを考え、自分なりの歴史観を確立することが
歴史を学ぶ目的です。
その点では「学ぶ」<「思う」となります。
ですので、「学ぶ」と「思う」のどちらか一方が大事
というのではなく、
2つのバランスが大事だと思います。
学び、よく考え、自分の考えや意見を確立させる。
ですが、人の意見を聞いたうえで、
自分の意見が間違っていると思ったら訂正し、
さらに考えを深めていく。
我が子がこのように勉強できる大人になれるよう、
皆さまもお子さまをサポートしてあげてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。